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箆柄暦『十二月・一月の沖縄』2022-2023 首里劇場

2022.11.30
  • イベントニュース
箆柄暦『十二月・一月の沖縄』2022-2023 首里劇場

《Piratsuka Special》首里劇場
~沖縄最古の映画館は戦後沖縄史のタイムカプセル~

沖縄では、沖縄戦によって首里城など戦前からある建物がほとんど焼失し、戦後の建造物も終戦から70年以上が過ぎた今、次々と取り壊されつつある。首里にある沖縄最古の映画館「首里劇場」も、その危機に瀕している建物の一つ。現在、この劇場が辿ってきた歴史を建物ごと記録し、その存在意義を広く知ってもらおうという取り組みが始まっている。首里劇場の歴史を知ることは、そのまま沖縄の戦後文化史を辿ることにつながるからだ。

●戦後の娯楽の殿堂だった首里劇場

那覇市首里の路地裏を探索していると、住宅街の真ん中に忽然と「首里劇場」が姿を表す。初めて見る人には、その古めかしい建物がいったい何なのか、いつからそこにあるのか見当もつかず、自分が過去にタイムスリップしてしまったのかのような、不思議な感覚を覚えるかもしれない。

そもそも近年の首里劇場は成人映画専門館だったこともあり、その存在を知る人自体、そう多くはないだろう。だが終戦後まもなく、屋根のない露天劇場として建てられた首里劇場(当時は首里公民館と呼ばれていた)は、米軍放出品のテント布で周囲を覆い、舞台はドラム缶の上にベニヤ板を敷いた簡素なものであったにもかかわらず、沖縄芝居の巡業公演や、ときにはバレエ公演まで行われ、日々活況を呈していた。戦争が終わり、娯楽や文化に飢える人々の心を満たすうえで、首里劇場は重要な役割を担っていたのだ。

1950年には屋根がつき、二階席を含めて収容人数1000名、赤瓦葺きの堂々たる建物となった。建設を請け負った合資会社田光組の社長・金城田光(でんこう)が初代館長となり、劇場には沖縄芝居の人気劇団が次々に出演したほか、映画の上映や地域の芸能行事なども行われ、大盛況を博したという。首里劇場は娯楽の殿堂としてはもちろん、現在の公民館のような地域のコミュニティ施設としても、人々から親しまれる存在だった。

●映画人気の衰退から成人映画館へ

だが60年代以降はテレビ放送が始まり、演劇や映画の人気が落ちて客足が鈍化。田光から館長を引き継いだ弟の田真(でんしん)は、他の映画館から不要になったスクリーンや客席の椅子を譲り受けるなどして館内を整備し、劇場を維持していた。現在も舞台の上に飾られている鳳凰のレリーフは田真が自作したものだが、これもまた劇場を盛り上げるための工夫の一つだったのだろう。

そして70年代に入り、他の映画館が次々と閉館する中、田真は生き残りをかけ、一般映画から成人映画の上映に舵を切った。当時人気だった「にっかつロマンポルノ」のヒットなどで息を吹き返したが、80年代になると今度はアダルトビデオが登場し、さらに経営は厳しくなっていく。

その後、2002年に田真の息子の政則(まさのり)が三代目館長に就任。当初は映写技師もいたものの、そのスタッフが辞めて以降は、政則は上映はもちろん、もぎりから館内の修繕までたった一人でこなし、首里劇場を守ってきた。ネットが普及して成人映画館の需要がますます減り、設備も建物もどんどん古びていく中で、それがどれほど大変なことだったか。政則の、劇場と映画への愛情の深さがつくづくと偲ばれる。

●イベント会場としての復活、そして突然の閉館

そんな状況に変化が起きたのが、2007年。首里劇場で、90年代にヒットした沖縄発のオムニバス映画『パイナップルツアーズ』の監督の一人、當間早志の新作映画『探偵事務所5 マクガフィン』の上映会が行われたのだ。このときは映画の上映に加え、主役を務めた藤木勇人(現在はうちなー噺家・志ぃさーとしても活躍中)の独演会や、ヒロインを演じた女優・洞口依子のウクレレユニット「パイティティ」のライブも行われ、劇場は大いに賑わった。このとき初めて首里劇場を訪れ、時が止まったかのような古めかしい空間が(しかも成人映画館として)現存することに、驚いた人も多かっただろう。

これ以降、首里劇場は「近年まれに見るレトロさが魅力のイベント会場」として利用されるようになり、映画人やアーティスト、そのファンに知られる存在となっていく。沖縄のハードフォークユニット「やちむん」、全国で活躍する「渋さ知らズオーケストラ」などがライブを行ったほか、「沖縄国際映画祭」の会場にも使用され、首里劇場を新たに知る人も増えていった。

その後コロナ禍が襲来し、またも苦境に陥る中、政則は2021年に成人映画館から名画座へと方向転換。劇場を応援する「首里劇場友の会」も結成され、再び盛り上がりの機運を見せていたが、そんな矢先の2022年4月、政則が急逝。首里劇場はやむなく閉館となった。

●リアル&オンラインで首里劇場の内覧会を開催中

現在、有志による「首里劇場調査団」が、劇場が担ってきた沖縄の大衆文化の調査と、記録保全の活動を行っている。調査が進むにつれ、建物の修繕の跡や館内に残る資料などから、沖縄の興業の歴史、地域の行事などに関して、次々と新たな発見があるという。ここはまさに戦後沖縄史のタイムカプセルとして、大変貴重な存在なのだ。

調査団では劇場内部の内覧会も行っており、客席から舞台裏、映写室、ワイルドなトイレまで、解説付きで見学できる。また、調査団の公式サイトではオンライン内覧会や、劇場内の3D再現データ公開も行っている。この機会にぜひ現場に足を運び(またはサイトにアクセスし)、首里劇場がその館内に刻んできた沖縄の戦後文化史を体験していただければと思う。(資料・写真提供:首里劇場調査団・平良竜次/文・編集部)

[表紙左下写真解説]

上段左)1954年2月、娯楽の殿堂として威風堂々の姿
上段右)沖縄芝居の劇団が滞在公演中に使った竈(かまど)
中段左)客席から見た舞台。天井が高く、花道と飾り窓も付いている
中段右)舞台側から見た客席。シートの種類がバラバラなのは、閉館した他の映画館からもらい受けたものを使っているため
下段・横長写真)二代目館長の金城田真が漆喰で自作したレリーフ。後に「上映の邪魔になる」として下部が削られた
右下)三代目・金城政則館長
表紙写真)2021年頃の首里劇場と政則館長

首里劇場調査団公式サイト https://shurigekifans.fakefur.jp/

オンライン内覧会 https://app.lapentor.com/sphere/-1655713891

館内3D再現データ https://cluster.mu/w/c02a94aa-b209-4c79-8400-3746464fe594