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箆柄暦『十月の沖縄』2022 下地イサム

2022.09.29
  • インタビュー
箆柄暦『十月の沖縄』2022 下地イサム

《Piratsuka Special 》

下地イサム 20th Anniversary Live
~宮古方言と音楽を愛し続けて20年~

故郷・宮古島の方言(ミャークフツ)で綴った歌詞を、ロックやポップス、ジャズなどの洋楽サウンドに乗せて歌うシンガーソングライター、下地イサム。今年デビュー20周年を迎えた彼が、コロナ禍を経て至った現在の心境と音楽活動への新たな意気込み、そして月末に那覇で開催する記念ライブの見どころを語る。

●方言で曲を作るのは、方言が好きだから

—-イサムさんはデビューからずっと、大方のオリジナル曲の歌詞を宮古島の方言で書いてこられました。デビュー当初は「宮古の言葉を残すことに使命感を持って音楽活動をしているわけではない」と仰っていましたが、活動10年目くらいからはその気持ちに変化が現れて、「自分が方言で歌詞を書くことで、方言を残す一助になれば」と思うようになった、と伺いました。それから更に10年経った今は、どのようにお考えですか?

イサム 根底のところはデビュー当時から全然変わってなくて、(方言で歌詞を書くのは)ただ方言が好きだから、っていうのが、やっぱり一番の理由ですね。ただ、ここまで急激な早さで方言が消滅しつつある中では、「このままでいいのかな、自分に何かできることはないかな」とも思うようにもなっています。自分は研究者ではないから、その思いを作品に投影することしかできないですけど。

—-方言の消滅に対する危機感は、今ますますつのっている感じでしょうか?

イサム そうですね。とにかく今、宮古は全体的に危ないくらい変わってます。特に僕の故郷の久松あたりは、市の中心街に近くて、独立した小中学校があって、総合病院も大型スーパーもできてて、暮らしやすくなったエリアなんです。それで島の中からも外からも、たくさんの人が移り住んできてて、もともと更地だったところにマンションやアパート、ペンションもいっぱい建って。地域にもよりますが、変わってるところは激しく変わっています。僕がデビュー曲の「我達が生まり島」で書いた風景は、一部を除いてもうほとんど存在してないですね。自分が育った故郷とは違う風景になってしまった、と言わざるを得ない部分が多くて、「変わらないままであってほしいな」と思う部分がなくなっていくのは、複雑な思いです。もちろん、移り住んできた人にとっては、今の便利な環境のほうがいいですし、僕らのように(宮古島から)離れて住んでいる人間には、何も言えないんですが。

—-そんな環境の変化の中で、方言が消えつつあると。

イサム はい、やっぱり一番変わったのが言葉ですよ。特に久松の小中学校で、久松独特の方言が聞こえなくなってます。なぜかというと、久松に隣接した、別の校区だったところに新しく家が建って、そこに住む子は久松のほうが近いから久松の学校に来るようになって、生徒の中でもともと久松エリアに住んでた子が相対的に減って、その結果、校内の会話は完全に市内(宮古島中心部)の言葉になっているんです。学校内では久松の子は少数派だから、多数派に飲み込まれて、学校では市内のイントネーションで話すようになってる。このままでは近い将来、久松独特の訛りはなくなると思います。

—-そこで自分が方言の歌を作ることで、少しでも状況に歯止めを掛けられれば、と。

イサム 僕の歌を通じて方言を口にする人が一人でも増えれば、方言の寿命を少しでも延ばすことができるはず、との思いも、なくはないです。でも(自分が方言で歌を作る)一番根っこにあるのは、やっぱり「方言が好きだから」ですね。今も次のアルバムに向けて新曲を作っているところですが、改めて方言の奥深さを実感しています。というのも今回は、今まで使ったことのない言葉をもっと取り入れたくて、辞書を引いたり、方言に詳しい人に聞いたりして調べながら書いてるんです。今までは「困ったときはこの言葉を使えばいいか」みたいなこともやってたのを、今回それはあえて避けて、「他に適切な言葉はないかな」って探すようにしてるんですが、これがもう楽しくて、楽しくて。

方言の辞書は、英語で言ったら英和辞典にあたるものしかなくて、和英辞典のように「日本語から引ける辞書」がないんですね。たとえば「切ない」という表現を探したかったら、辞書を最初のページから見ていって、「切ない」にあたる言葉が出てくるまでページをめくるしかない。だから(調べるのに)時間がかかるんですけど、ページをめくってるうちについ没頭しちゃって、気付いたら「え、もうこんな時間?」みたいな(笑)。でもそれが楽しいんです。

—-方言に触れていること自体が楽しいんですね。

イサム ええ。自分はもともと歌詞よりも曲を作るほうが好きで、歌詞は曲ができてから追い込んでいくというか、「この曲調ならこんな歌詞かな」って感じでガーッと書くことが多かったんです。漠然と「こういうテーマで書きたいな」というものはあるんだけど(そこまで歌詞優先ではなかった)。それが今回は「まず歌詞を書こう」と思って、少しずつ詞のアイディアを書きためてたんです。毎日というわけじゃなく、気が向いたときにパソコンの中のWordファイルを開けて、一行ずつ書き足したり、削除したりって作業をずーっとやってて。そうしたらそのうち、その内容がだんだん詞の形になって増えていって、「これなら曲をつけてもいいな」となって、曲が生まれる。こういう作り方は、自分でも今までにない感じです。

—-歌詞のアイディアは標準語で書いてあって、それを方言に置き換えていくということですか?

イサム はい。自分の中では方言と標準語が同居してて、方言で歌ったほうがいいものや、方言でいけるなと思うものは方言で、標準語のほうがいいな、と思うものはそのままにしています。歌詞の大多数は方言だけど、方言で歌うことだけにこだわってるわけじゃなくて、方言に適切な語彙がなかったり、標準語のほうがふさわしいと思ったものは、素直に標準語でやってますね。中には「サビだけ標準語」という歌詞もあります。やはり歌詞の内容によっては、どうしても方言では表現できないものもあるので。あと、今回は英語の歌も1曲作りました。「この内容は英語で歌ってみてもいいな」と思ったので、英語が堪能な友人に頼んで英訳してもらいました。

●パソコンを使った曲作りで新しい扉が開いた

—-そういった作業の中で、方言の奥深さがより強く実感されてきたと。

イサム はい。「方言には、自分がまだ触れていない可能性がたくさんある」と感じています。それで今回(その可能性を追求すべく)挑戦してることの一つが、「曲のビートに合わせて、方言の言葉をどこまで(テンポ良く)回転させられるか」という試みです。

この挑戦に至った一番大きな理由は、曲のアレンジ方法が今までとはガラッと変わったことです。実は今、新曲のデモ音源は自分一人で、DTM(=Desk Top Music:パソコンを使った楽曲制作、いわゆる打ち込み)で作ってるんですよ。これまではデモを作るにもスタジオを借りて、バンドメンバーと一緒に演奏しながらアレンジや構成を決めていましたが、コロナ禍で人が集まることが制限されて、バンドでスタジオに入れなくなった。そのうえ、コロナ禍でライブもまったくできなくなって、「自分はこんなに脆い土台の上で活動していたのか」と気付かされて愕然としたり、「このまま音楽活動を続けられるのか? でも自分から音楽を取ったら何が残るんだ?」って改めて考えさせられる中で、生産的なことは何もできなくて、でも時間だけはたくさんあって。だったら「自分が作りたいものを、自分の力ですぐ形にできたらいいな」と。せめてデモくらいは自分一人で作れるようになりたい、そこから見えてくるものもあるんじゃないか、と思ったんです。

—-DTMを始めてみて、いかがでしたか?

イサム いざやりだしたら、「なんで今までこれをやってなかったんだ」と痛感しました(笑)。僕はメカ音痴なので、独学でDTMソフトの使い方を覚えるのは大変でしたが(笑)、やってみたらまったく新しい扉が開いたというか。

スタジオでミュージシャンやスタッフと一緒に曲を完成させていく場合、その工程で皆からいろいろなアイディアが出て、すごい化学変化が起きていくんですが、DTMだと完全に一人での作業なので、その化学変化がまったくなくなるんですね。だけどその反面、楽器も歌も、自分が気に入るまで何度録り直しても誰にも迷惑をかけないし、お金もかからない。たとえばスタジオだと時間制限があるから、ある程度のところで「これでOK」と決めなくちゃならない場面が何度もあるわけです。後で聴き直して「あー、こういうアレンジにすればよかった」とか、「こういう歌い方をすればよかった」と思っても、もう直せないし、直そうと思ったらさらにお金(スタジオ代やミュージシャンの人件費)がかかる。でもDTMなら、自分が納得できるまでとことんいろんなパターンを追求できるし、何十回やり直してもお金はかからない。そうしているうち、だんだん自分の中で見えてくるものがあって、曲の完成度が上がっていくのが実感できました。「ああ、自分には一発録りより、作り込むほうが向いてたんだ」って、デビューから20年経ってようやく気付きました(笑)。

—-DTMでは具体的に、どのように作業を行っているのでしょう?

イサム たとえばドラムやベースなど楽器の音を入れるときは、何百とある音色の中からどれを使うか、それをどんなリズムで鳴らすのか、一つ一つ選んで決めて、DTMソフトで打ち込んでいきます。ボーカルを録音するときは、ささやくように歌ったり、声を張り上げたり、マイクとの距離を変えたり、いろんなパターンで歌ってみるのはもちろん、声にどんな効果をかけるかもいろいろと試します。たとえばリバーブ(残響音)ひとつとっても、それがホールなのか屋外なのか、ホールならどんな広さでどんな構造のホールなのかまで、ソフト上で細かく選べる。

こうした「今までは個々のプレイヤーやディレクターに丸投げしていた作業」を、全部自分で選んで決めていくわけです。もちろん以前も、最後のチェックは自分でやってましたけど、作業の細かいところまでは、まったくわかっていませんでした。もっと若い頃にDTMを学んでたら、自分の音に対してもっとこだわってただろうし、サウンドの構成についてもいろいろと考えることができたはずだと思うと、ちょっと遅かったな、とは思いますが(笑)。

ただ、こうやってDTMを勉強できたのも、コロナ禍でライブができなくなって、時間があったからなんですよね。そういう意味では、コロナ禍は大変だったけど、こうして新しい景色が見え始めたことはよかったなと思えます。

●自分の殻をぶち破って、自分が本当に作りたい音楽を作る

—-曲の作り方が変わって、完成した曲そのものも変わりましたか?

イサム 変わったと思います。今作ってる曲は、少なくとも今まで作ってきた「我達が生まり島」や「おばぁ」のような感じではないですね。あれはあれでいいと思うんですけど、もっと新境地というか、自分でも「やっぱり方言はいいな」と思う歌を作りたいなと思って。先に言ったとおり、「方言には、自分がまだ触れていない可能性がたくさんあるんじゃないか」と感じてて、そこを掘り起こしたいんです。

あと、せっかく時間もお金も気にせずに作業できるんだったら、周囲の評価なんかは気にせず、自分の本当に作りたいものを作ろう、今までの自分の殻をぶち破るようなものにしようと。これまでは「聴いた人が喜んでくれるような曲を作ろう」とかも考えてたんですが、今回はそういう忖度はゼロです(笑)。世間に「イサムといえばアコギ(アコースティック・ギター)」というイメージがあるのなら、「じゃあ今回は全部エレキ(ギター)でやったる」みたいな(笑)、それくらいの気持ちでいます。

そうして試行錯誤する中から出てきたのが、「シンプルなドラムとベースのビートに方言の言葉を乗せていき、後からコードやメロディをつける」という作り方でした。これまではメロディを先に作って、それに合わせて歌詞を書くことが多かったんですが、今は(メロディよりも)「強いビートに方言のリズムを組み合わせたら、どんなふうになるか」ということに一番興味があるんです。

そこで、まずは激しいビートのドラムとベースのリズムを作って、そこに方言の歌詞を乗せてみて、「ちょっと違うな」と思ったらリズムのテンポを速めてみて、それを何度も繰り返す。そして「あ、今だ」と思ったら、そのテンポで何回も繰り返し歌ってみる。そうやってだんだんとビートのグルーヴに方言がなじんできて、「これでいける」となったら、それに和音をつけてコード進行を決めて、メロディをつけていく。こういう曲の作り方は自分でも初めての経験で、DTMを始めたからこそできたことだと思います。

そんな感じで作っているので、新曲はどれも勢いがあって熱くて、リズミカル。ビート重視なのでロックっぽく聞こえるかもしれないけど、僕の中ではジャンルは特に決めてなくて、「新しい自分の音楽を作っている」という感覚です。

—-そうした曲作りへの原動力は、どこから生まれてくるのでしょう。

イサム 僕自身はとにかくスロースターターだし、最初から「これをやるぞ!」って決めて走り出すタイプでもないんです。ただ、曲作りの作業に没頭する中で、自分の(楽曲制作に対する)エンジンの回転数がどんどん上がっていく実感もあって、それもまた楽しくて。DTMも独学だから、最初は何もわからなくて、端から見れば「一日作業してるのに、何もできあがってない」って日がたくさんあったんですよ。でも毎日続けるうちにだんだん楽しくなってきて、自分でも「けっこう乗ってるぞ、明日は絶対に曲が書ける」って思えるようになって。

そんな感じだから、原動力は何か?と聞かれるとよくわからないけど、実際に走り出したらやりたいことがどんどん出てきて、気持ちが乗ってくる。そう考えると「やっぱり自分は音楽を作るのが好きなんだな」って思うし、その気持ちはデビュー当時からずっと変わらないです。

—-その意味では、デビューから20年経った今、イサムさんにとってミュージシャンというお仕事は天職だったと感じていますか?

イサム 僕はこの世界に入ったのが30代前半で、それまでは他の仕事を転々としてたから、この仕事が天職と言ったら、ずっと音楽一筋でやってきた方に申し訳ないとも思うんですけど。ただ、僕はもともと一つのことを長く継続できる人間じゃなかったんですよね。音楽をやり始めて20年経って、しかも最近はコロナ禍で思うように仕事ができなくて、「このままやっていけるのか、これで大丈夫か」っていう時期が続いて、でもなぜかそこで(音楽を辞めずに)踏ん張れたのは、やっぱり音楽が天職だったからかもしれません。

もちろん「他に行き場がなかっただけ」かもしれないけど、でもこれが音楽以外の仕事だったら、ここまで頑張れてたか?って考えたら、それは違うなと。音楽だからこそ、頑張れたんです。DTMの勉強だって、メカに弱い自分が諦めないで続けられたのは、その先に音楽があったから。他のことだったら、さっさとギブアップしてたと思います。

—-音楽に対する情熱は、デビュー当時からずっと変わらないと。

イサム 逆に年を取るごとに、音楽に対してやりたいことがものすごく増えてます。特にDTMで曲作りをするようになって、今まで開けていなかった扉がいっぱい開いたんですよ。たとえばサウンドの音質に関しても、山下達郎さんみたいにハイクオリティなものを目指す世界もあれば、クオリティよりそのときの勢いや気持ちが大事、という世界もあって。それはもちろん両方ありなんだけど、その違いがDTMを勉強すればするほど、よりいっそう見えてくるようになった。そうなると曲を作るとき、まず「どっちの方向でいくか」を考えて、自分で決断しなくちゃいけない。今まではここを人任せにしていたので、それを自分で決められる喜びというのが、ものすごく大きいです。

—-言ってみれば、自分で自分をプロデュースする感覚でしょうか。

イサム そうですね。たとえばボーカルにリバーブをつけるにしても、残響音の音質は一個一個全然違うので、何百とあるリバーブを一つずつヘッドホンで聴きながら、自分の声と曲に合うものを探す作業を、夜通しやったりするわけです。人任せだったものが自分任せになって、そのぶん責任も背負うけど、答えがない問題の答えを自分で見つける楽しさがある。逆に言えば、以前は自分の作品にぜんぜん責任を持っていない、いいかげんな野郎だったなと(笑)。もちろん、他のミュージシャンやスタッフの力を借りて作り上げていくのも素晴らしいことだし、今後またそういう作り方もしたいと思うけど、そうなったときも僕がDTMを勉強して音響やアレンジについての理解を深めたことで、エンジニアやミュージシャンともちゃんと話し合いながら曲作りができるだろうし、それはとってもいいことだと思っています。

だから、今は毎日「時間が足りないな」って感じています。だってこれから先の人生、音楽で勉強したいことをある程度まで勉強し終えたら、そのとき僕はもう90歳くらいにはなってるだろうと(笑)。100歳まで生きたいとは思ってないけど、やりたいことを全部やろうと思ったら、寿命は足りないですよ。

●コロナ禍でもライブができることへの感謝の気持ちを届けたい

—-これまでのお話を聞くにつけ、20周年アルバムは今までとはまったく違う仕上がりになりそうで、楽しみです。

イサム はい。ただ、問題は20周年のうちに仕上がるかどうか(笑)。CDデビューは2002年8月なので、来年の夏まで20周年イヤーではあるんですが、焦って妥協するのも良くないので、自分が作りたいように作ろうと思っています。今のところドラムは打ち込みですが、ベースは打ち込みで本物らしいフレーズに近づけるのがすごく難しいので、ここはやっぱり生がいいなと思って、ガチャピンさん(ベーシストの上地gacha一也)に自宅スタジオに来てもらって、録音してます。打ち込みの良さを活かしつつ、生音をミックスしていく感じですね。

ボーカルに関しては、自分が歌うだけなので何回でもやり直しがきくから、ここは特に「自分のやりたいように」という思いが強いです。オケに自分の声をなじませるには、どういう歌い方がいいのか?とか、自分で自分の声を理解できるまで、いろんなバージョンで歌を録って聴き比べる、って作業を繰り返してます。その結果、またしても「一日中作業はしてるんだけど、何も結果が出せていない」って日が続くわけですが(笑)。でも自分自身は気持ちが乗ってるし、楽しいんですよね、本当に。

—-10月末には20周年記念ライブがありますが、そこではそれらの新曲もお披露目されるのでしょうか。

イサム いや、新曲はまだどれも制作途中ですし(笑)、月末のライブは今まで発表してきた曲を中心に、この20年間の総決算のような内容にする予定です。今回は10年前の10周年記念ライブ以来、久々のバンドスタイルでのステージなので、10年ぶりにバンドメンバーと一緒に演奏できるのも楽しみです。今、ライブに向けて練習を始めたところですが、彼らもそれぞれずっと音楽活動を続けているので、一人一人の中に蓄積されたものがあるんですよね。それを持ち寄って曲を作っていくという感覚を大事にしたいと思っています。

実際、曲のアレンジは10年前と同じなのに、不思議とどこか印象が違うんです。そう感じたのは僕だけかと思ってたら、みんなも同じように感じてたらしくて、「ウチら上手くなったよね」って(笑)。10年前とはひと味違う、大人なサウンドになってるんじゃないかな。

また、当日はゲストで新良幸人さん、島袋優さん(BEGIN)、内田勘太郎さんも参加してくださるので、皆さんと一緒に、来てくれた方に生の音楽を、楽しくお届けできたらと思っています。僕はもともとステージに立って歌うより、音楽を作るほうが好きなタイプではあるんですが、それでもコロナ禍でライブができなくなって、表現の場がなくなったときは本当に悲しかった。今回久しぶりにバンドで練習してみて、「みんなで音を出し合うっていいなあ、爽快だなあ」って改めて思ったし、それを生で届けられるのも、とてもいいことですよね。音楽をはじめとした文化芸術分野の活動が本格的に巻き返して、V字回復する日が一日も早く来てほしいと願いながら、当日はコロナ禍でもライブができることへの感謝の気持ちを、ステージで精一杯表現したいと思っています。(取材&文・高橋久未子/撮影・大湾朝太郎)

下地イサム(しもじ・いさむ)

1969年、宮古島久松生まれ。2002年にシングル「我達が生まり島(ばんたがんまりずま)」でCDデビュー。現在は沖縄本島を拠点にライブ活動を行うほか、石垣島出身の民謡シンガー・新良幸人とのユニット「THE SAKISHIMA meeting」、島袋優(BEGIN)とのユニット「シモブクレコード」等でも活動。

オフィシャルサイト https://isamu.arize.jp/

[Live Info]
◆下地イサム 20th Anniversary LIVE

ゲスト:新良幸人/島袋優(BEGIN)/内田勘太郎
日時:2022/10/29(土)16:30開場/17:00開演
場所・問合せ先:桜坂劇場ホールA(那覇市)TEL.098-860-9555
料金:前売4,000円/当日4,500円(1ドリンク別途)