沖縄イベント情報 ぴらつかこよみ|ぴらつかこよみ

箆柄暦『九月・十月の沖縄』2021 『浄夜』発売10周年記念 新良幸人×サトウユウ子

2021.09.02
  • インタビュー
箆柄暦『九月・十月の沖縄』2021 『浄夜』発売10周年記念 新良幸人×サトウユウ子

《Piratsuka Special Topics》

新良幸人×サトウユウ子『浄夜』発売10周年記念
~10年を経てさらに輝く歌三弦とピアノの極上盤~

石垣島の白保地区に生まれて11歳から八重山民謡を学び、現在はソロのほか人気ロックバンド・パーシャクラブのボーカルや、下地イサムとのユニット「THE SAKISHIMA meeting」などでも活躍するシンガー、新良幸人。

福岡出身で幼少よりピアノに親しみ、クラシック、ジャズ、ポップス、ブラジル音楽、八重山民謡など、多様な音楽を吸収しながら自身の音楽表現を追求してきたピアニスト、サトウユウ子。

共に那覇を拠点に活動し、2004年から定期的に共演を重ねてきた二人が、2011年に共作アルバム『浄夜』をリリースして今年で丸10年。その節目を記念して、2021年10月23日(日)に那覇市の桜坂劇場で、『浄夜』10周年アニバーサリーライブが開かれる。今回は二人の出会いのきっかけから、その後の活動へとつながる経緯、『浄夜』制作の背景、そして共に音楽を奏でる喜びなどについて、ざっくばらんに語ってもらった。

●ユウ子のピアノで歌ってみたい!と一耳惚れ

—-お二人が出会ったのは2004年だそうですね。最初のきっかけは?

幸人 俺がJASRAC主催のジョイントコンサートに出演することになって、共演してくれるピアニストを探したのがきっかけ。そのコンサートは「琉球と大和」がテーマで、大和の和楽器バンドも出るから、こっちもすてきなピアノがあれば盤石になるな、と思ったの。ただ、もともとピアノと一緒にやりたいという気持ちはずっとあって、本気で組めるピアニストがいたらいいな、とは思ってた。

それで、ジャズベーシストの真境名陽一さんに「誰か面白いピアニストいない? 男っぽさも女っぽさも両方持ってるような、ユニセックスな人がいいんだけど」って相談したら、「お、上等な人がいるよ」って、ユウ子を紹介してくれて。「今、ナハテラス(ホテル)のラウンジで一緒に演奏してるから、聴きに来たら?」って言われて行ってみたら、俺が来たのを知って(パーシャクラブの代表曲である)「ファムレウタ」をインストで演奏してくれて、それがむっちゃステキだったんだよね。一音一音がきれいでおしゃれで、タッチもアプローチもカッコよくて、もう(この人で)決まり!って感じ(笑)。なんていうか、ちっちゃい頃にすごく嬉しかったことがあったときと同じ感じで、「なんてステキなピアノなんだろう、この人のピアノをずっと聴いていたい」って思ったのを覚えてる。

—-いわば一目惚れならぬ、一耳惚れですね。これこそが自分が求めていたピアノだ、と。

幸人 まあ、自分が求めていたものが何だったのかはわからないけど、この人のピアノで歌ってみたい、って思ったんだよね。でも、ユウ子に「一緒にやってほしい」って頼んだら、最初はあっさり「イヤです」って断られた(笑)。俺、自分から申し込んで女に振られたのは、あのときが初めてだったよ(笑)。

—-ユウ子さんはそのとき、幸人さんのことはご存知だったんですか?

ユウ子 いや、沖縄で活躍してるミュージシャンだってことは知ってたけど、それ以上のことはほぼ知らんかった(笑)。私はテレビも持ってなくて、情報をシャットアウトして生活してたから。(幸人の誘いを断ったのは)当時の私にとって、ピアノを弾くのはあくまで「生活のための仕事」で、自分自身が人前に出てアーティスト活動をする気は、まったくなかったから。幸人みたいな人気ミュージシャンと一緒にステージに立つなんて、おこがましいというか、そんなプレッシャーのかかることはしたくなくて、それで「あ、それはないです」と断ったわけ。

—-表舞台に出る気がなかったのはなぜでしょう?

ユウ子 私はもともと音楽と絵が好きで、最初は東京の音大でジャズ研に入って、ミュージシャンを目指してたんだけど、途中で断念して大学も辞めて、その後は絵を描くほうに行ったわけ。昼は普通に仕事して、夜はナイトクラブでピアノ弾きまくってお金を貯めて、美術学校に2年通って、絵を勉強して。そのうち「情報過多な東京を離れて、絵を描きながら生活できる場所に移りたい」と思うようになって、選んだのが沖縄だったんだよね。沖縄は元から大好きでよく来てたし、どうせなら東京から一番遠いところがいいなと思って。それが1998年くらい。

沖縄に来てからは、絵を描きながら生活が成り立てばなんでもよかったので、ピアノはあくまで生活費を稼ぐための仕事でしかなくて。自分の名前でステージに立つとか、そういうややこしいことはナシね、って感じだったから(幸人の誘いも断った)。

幸人 あの頃のユウ子は出家してるような感じだったもんな。でもホントは俺を見て、「得体の知れないギョーカイっぽい人が来た」って身構えたんだろ(笑)。

ユウ子 そうそう(笑)。だって幸人、ヤクザみたいな格好してたんだよ。こんな身なりの人とは一緒にやりたくないと(笑)。

—-でも、最終的には一緒にやることになったわけですよね。それはどうして?

ユウ子 幸人の押しに負けたというか。「一回リハーサルやってみて、それでもダメだったら断っていいから」って説得されて、じゃあ一回だけやって断ろうと。

幸人 俺もよ、普通は断られたらすぐ引き下がるんだけど、ユウ子のピアノを聴いたあとでは、どうしても引き下がれなくて。初対面で自分から「一緒にやろう」って言ったのは初めてだったし、「とにかく一回合わせてみよう」って頼んで。

—-それで一緒にやってみて、ユウ子さんの気が変わったと。

ユウ子 そう、すぐに気が変わったね(笑)。現金なもんで、幸人がバーンと歌った瞬間「あ、やります」ってなった(笑)。決め手はやっぱり、唄がすごく上手かったこと。幸人の唄は他の誰とも違ってて、民謡も幸人が歌うとちゃんと“新良幸人の唄”になる。こういう“等身大で自分の唄が歌える、その人らしい感じで唄が上手い人”って、そんなにたくさんいないんだよ。それで私も心を掴まれたというか、「この人と一緒に音楽をやりたい!」って、やる気スイッチがガツッと入っちゃった。音楽に対する気持ちは、学生時代に挫折して以降、ずっとフタをしてきたんだけど、幸人の唄を聴いてそのフタがパッカーンと開いて、それでまた音楽を始めることになっちゃった。

幸人 あと、ユウ子は沖縄に住む前から八重山民謡が好きで、島の唄をよく知ってたんだよね。それもやっぱり縁があったのかなって。

ユウ子 そう、それはあると思う。東京に住んでた頃はいわゆる沖縄フリークで、特に八重山が大好きでね。一番最初は何の予備知識もなく、ふらっと竹富島を訪れたんだけど、そこで泊まった松竹荘のご夫婦にすごくお世話になったのがきっかけで、八重山と八重山民謡にハマって。東京では八重山民謡のCDをいろいろ聴いて、年に1回はその唄が生まれた島に出かけていって、その島の空気を吸いながら唄を聴いて回るってのが、とっても楽しみだったわけ。

そんな中で西表島の山城孫勇さんっていうおじいと仲良くなって、八重山民謡をたくさん教えてもらったんだけど、そのおじいが私が沖縄に移住したとたん、亡くなってしまって。私も唖然としてたんだけど、そうこうしてるうちに幸人が現れて、私はまた音楽の道に踏み出すことになって。幸人との縁は孫勇おじいが繋いでくれたんだな、と思ったよ。

(西表島の山城孫勇さん)

●二人ならではの「ピアノと唄のあり方」を見つける喜び

そうして意気投合した二人は、年に数回のペースでライブを行うようになる。共に愛する八重山民謡を中心に、沖縄民謡やパーシャクラブのナンバーなどをセッションする中で、巷によくある「唄三弦はそのままで、ピアノが一方的に唄三弦に寄り添って伴奏をつける」のとは違う、二人ならではの演奏スタイルが確立されていった。メロディアスなユウ子のピアノと、朗々と艶やかな幸人の唄声が絡み合い、ここぞというところで三弦の音が美しく響く(曲によっては三弦が一切入らないこともある)。そんなオリジナリティの積み重ねによる音楽の交歓を、二人は「お互いがステージの上で素になって、やりたい音楽を一緒に作っていく、とてもピースで美しい瞬間」と嬉しげに語った。

—-今のお二人の演奏スタイルは、どのように作られていったんでしょうか。

幸人 最初からお互い「いい感じでできそうだな」とは思ってたけど、実際にライブを重ねて、二人の関係が近くなるにつれて、俺らならではの「ピアノと唄のあり方」を見つけていった感じだよね。たとえば、俺はそれまで「三弦と唄の両方があって新良幸人」だと思ってたけど、ユウ子は俺に「三弦弾かないでいいよ」って言ったんだよ。「あんたは唄が上手なんだから、三弦は弾かずに唄だけでいい。でないと私がピアノを弾く意味がない」って。

ユウ子 だって、もともと民謡ってのは唄があって、その伴奏のために楽器があるわけでしょう。二人でやるなら伴奏はピアノがあるんだから、極端なことをいえば三弦はなくてもいい。ピアノと三弦を両方入れるなら、どっちも(一人で演奏するときより)引き算して、必要最小限の音の表現をするのが一番キレイだと思う。

幸人 最初にそれを言われたときは「ん?」って思ったけど、今は本当にその意味が分かる。しかも、ユウ子の弾くフレーズってどれもステキなんだけど、たとえば「浜千鳥」の中で出てくるフレーズなんて、初めてやったときに「(自分のイメージしていた浜千鳥に)なんでこんなにぴったり合うんだ!」って、トドメを刺された気持ちになったんだよね。あのフレーズがある限り、何があってもユウ子には頭が上がらないなあと思うよ。

あと、唄三弦って昔からロックバンドなんかでも使われてきたけど、(自分がボーカルを務める)パーシャクラブはもちろん別として、だいたいは「唄三弦はいつも通りそのままでいいです、私たちバンドが周りを飾りますから」って感じになっちゃうんだよね。それじゃあ面白くならないし、カッコ悪いし、唄三弦を尊重しているようでいて、逆にバカにしてると思うわけ。俺らは二人で時間をかけて、ちゃんと(互いの音楽を)確かめ合ってきたんだよ。

—-二人で演奏していて、一番楽しいことは何でしょう?

幸人 俺が美しいなと思うのは、「俺が思ってることと、ユウ子が思ってることが一緒だったんだな」って分かった瞬間だよね。それは二人の間でしかわからないことだと思うけど、そうじゃないとコンビで演奏はできないなあって思う。二人でやってると、ほくそ笑んだり、震えたり、嬉しかったり、泣きそうになったり、そんな瞬間がたくさんあるんだよ。俺は一人でステージに出るときは、いっぱいカッコつけたり嘘ついたりするけど、ユウ子といたら何も飾ることなく、裸になれる。

ユウ子 私も、幸人とのライブでは自分が一番やりたいことをやってるんだろうね。素のまんま「サトウユウ子」として(ステージに)出れるのは嬉しいな、と思う。でも、最初に幸人と一緒にJASRACのコンサートに出たときは、ものすごい緊張してライブ前3日間くらい眠れなかったからね(笑)。その頃の私は、幸人みたいに表舞台に立つ人とはレベルが違うと思ってたし、自分の名前を出してステージに立って、お客さんと対峙して弾くことは極力避けてたから。

幸人 ユウ子のそういう気持ちも、一緒にやっていくうちに知ったんだけど、俺は「ユウ子は人前でピアノを弾くべきだ」と思ったから、そう言ったんだよね。そしたらやっぱり、今はそうしてるじゃない。

ユウ子 そういう意味では、幸人が今の私を作ったね(笑)。幸人と会う前は、ステージ上で喋るとか1ミリもできなかったけど、長い時間かけて幸人に仕込まれて、最近じゃ「喋りすぎ」って言われるくらいになった(笑)。楽屋やステージで酒飲むのも幸人に教えられて、私はこれが普通だと思ってたんだけど、実は間違ってたね(笑)。他の人は誰もやってなくて、それに気付いたときはびっくりしたよ。

●東日本大震災の被災地に届けたくて「浄夜」が生まれた

—-お二人はそういったセッションを6年ほど続けたあと、2011年に初の共作アルバム『浄夜』をリリースしました。タイトル曲の「浄夜」は、お二人にとって初めてのオリジナル曲ですが、東日本大震災がきっかけで生まれたそうですね。

幸人 そう。それまではお互い、いい意味で音楽に甘えてたというか、出会えたことを喜んで音楽を楽しんでたんだけど、震災があって、ユウ子が「曲を書こう」って言ってくれて。

ユウ子 東北には二人でツアーしたこともあるし、仲間もいるから、彼らに届ける唄を幸人と作りたいと思って。私の中に浮かんだイメージを幸人に渡して、歌詞を書いてもらったんだよね。

幸人 ユウ子が「涙の川に虹の橋を架けましょう、はげた山肌に木を育てましょう」って唄を書いてほしい、と言ってきて。歌詞の細かい部分は俺が書いたけど、ユウ子が「こういう曲にしたい」と思った瞬間に、あの曲はできあがってるわけさ。それがすべてだし、だからあの曲はステキなのよ。

—-そしてアルバム『浄夜』の誕生へとつながるわけですが、この作品は全曲一発録りで収録したとか。

幸人 俺は最初は別録りのつもりだったのよ。まずユウ子のピアノを録って、そこに後から唄を入れるほうが確実だし、ずっとそういうやり方してきたから。せっかくピアノが良くても、唄がダメでやり直すとかなったら大変じゃん。でもスタジオに入ったら、ユウ子に「はい、一緒にやるよ」って言われて「はっ?!」って(笑)。

ユウ子 私はもともと、分けて録るのってあんまり好きじゃないんだよ。幸人と私がやるなら、二人の空気感をそのまま録ったほうがいい作品になると思ったんだよね。当日いきなり言われて、幸人は大変だったと思うけど(笑)。

幸人 でも録音した音を聴いてみたら、グルーヴ感が(別録りとは)全然違ってて。「これならいけるかも」「これでいこう」ってなって、全曲一発録りで収録した。

—-その全11曲のうち、「浄夜」を含め2曲が書き下ろしのオリジナルで、他は八重山民謡、沖縄民謡、パーシャクラブのナンバー、下地イサムさんの楽曲などですが、オリジナル以外の作品もすべて、原曲とはまた味わいの異なる、お二人ならではの曲になっています。

幸人 オリジナル以外の曲も、ただカバーしたわけではないからね。

ユウ子 そう、「ちゃんとカバー」したよね。たとえば矢野顕子さんが他の人の曲をカバーするときって、完全に自分の唄として歌うでしょう。カバーって本来そういうものだと思う。

幸人 民謡にしろ、パーシャやイサムの曲にしろ、「私たちはあの人からもらった曲を、こうやって弾いて、歌わせてもらいます」って、ちゃんと明確にしてるからね。まさに『浄夜』は、俺たちならではのアルバムになってると思うよ。

そうして二人が作り上げた臨場感あふれる作品は、各方面で高い評価を得、多くの人の心を揺さぶったが、その中の一人がデザイン活動家で、国内外で展開するショップ「D&DEPARTMENT」のディレクター、ナガオカケンメイだった。

『浄夜』との出合いをきっかけに沖縄との縁を深めたというナガオカは、二人に「このアルバムを曲順通り、今の時代に再現するライブをやって欲しい」と依頼。この10月、その思いを受けてのライブが開催されることになった。「目に見えないウイルスとも戦わなくてはならない今、このタイミングに、このアルバムに込められた二人の思いにぜひ、出会って欲しい」とナガオカ。当日は会場で、そして配信で、録音から丸10年経った今の二人が奏でる『浄夜』の世界を、じっくりと味わってもらえればと思う。(取材&文・高橋久未子/撮影・萩野一政)

[CD Info]
新良幸人×サトウユウ子『浄夜』
※10周年記念カバーデザインCDがD&DEPARTMENT OKINAWAから発売予定
※ダウンロード販売&ストリーミング配信はレコチョクApple MusicAmazon Music等から

あがろうざ/月ぬ美しゃ/ファムレウタ/あの夏の日/満点の星/西武門節/浜千鳥/安里屋節/赤ゆらの花/浄夜/明空(AKISURA)~ハジマリのウタ

[Live Info]
新良幸人×サトウユウ子「浄夜 10th anniversary LIVE」

日時:2021/10/23(土)18:00開場/18:30開演
場所・問合せ:那覇市・桜坂劇場ホールA(定員150名)TEL.098-860-9555
料金:前売一般4,000円/未成年1,500円(当日各500円増、1ドリンク別途300円)、視聴料3,000円(10/29までアーカイブ視聴可)

【会場チケット購入】桜坂劇場窓口D&DEPARTMENT OKINAWA by PLAZA 3イープラスチケットぴあローソンチケット
【配信チケット購入】Peatix

[Tour Info]
『浄夜 旅』スペシャルライブツアー2泊3日

上記ライブの翌日10/24(日)に、『浄夜』がレコーディングされた八重瀬町のスタジオT.tuttiで、「浄夜旅」と題されたスペシャルライブが行われる。このライブに参加できるのは、専用ツアーの参加者のみ。ツアープランは以下の3種類(計40名限定)、参加申込受付は9/30まで。詳細はこちらからチェック!

1)羽田・伊丹・中部・福岡発着プラン
往復航空券+ホテル2泊+10/24のバス送迎+2日間のライブチケット

2)現地集合プラン
ホテル2泊+10/24のバス送迎+2日間のライブチケット

3)うちなー限定プラン(沖縄県内在住者限定)
10/24のライブチケット+バス送迎

問合せ:ジャパン・エンタテインメント・ツアーズ(株)TEL.03-6712-5311