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箆柄暦『二月の沖縄』2020 琉球交響楽団『沖縄交響歳時記』

2020.01.30
  • インタビュー
箆柄暦『二月の沖縄』2020 琉球交響楽団『沖縄交響歳時記』

《Piratsuka Special Topics》

琉球交響楽団『沖縄交響歳時記』
~沖縄の四季をオーケストラで詩情豊かに描く~

https://m.youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=4YrLT7ZDTZQ

沖縄初のプロフェッショナル・オーケストラとして、2001年に誕生した琉球交響楽団(以下、琉響)。沖縄でプロの演奏家として活動する30数名が参加しており、国内外で活躍する指揮者・大友直人(音楽監督)のもと、年2回の定期演奏会をはじめ、年間約80回におよぶ演奏会を行っている。2005年には、沖縄の民謡やわらべ歌などをクラシックアレンジで演奏したアルバム『琉球交響楽団』を発表。そして創立20周年を迎える今年(2020年)、実に15年ぶりとなる2ndアルバム『沖縄交響歳時記』をリリースした。創立から現在までの20年間、琉響は沖縄でどのような歩みを続けてきたのか。琉響の創設当初からミュージックアドバイザーを務め、2016年以降は音楽監督として楽団を指揮する大友と、初期から琉響の活動に参加し、現在は楽団員代表を務めるヴァイオリニストの高宮城徹夫に、「琉響のこれまでとこれから」を語ってもらった。

●プロオーケストラがあることで、地域全体が豊かな文化圏に発展する

—-まずは大友さんにお話を伺います。大友さんと琉響との出会いは、琉響の創設者である故・祖堅方正(そけん・ほうせい)さんとのご縁がきっかけだったそうですね。

大友 ええ。祖堅先生とは、私が学生時代からの古いお付き合いです。直接の師弟関係はないんですが、私が学んでいた桐朋学園大学音楽学部の先輩で、学校でも教えておられて。私が大学2年生でNHK交響楽団(以下、N響)の指揮研究生になったときは、先生はN響の現役トランペットプレーヤーでいらして、私のデビューコンサートでも演奏してくださいました。

その後、1990年に沖縄県立芸術大学(以下、県芸)に音楽学部が開設されることになって、祖堅先生はN響を退団して沖縄に戻って、県芸の教授に就任されたんです。そして数年が経った頃、先生から電話がかかってきて、「やっと在学生だけでオーケストラができるようになって、演奏会を開くことになったので、指揮をしに来てくれないか」と依頼されました。それで1994年に沖縄に行ったのが、今に至る沖縄や琉響とのつながりの最初です。それ以前も、演奏会で二度ほど沖縄に行ったことはありましたが、そのときは当日入りして演奏して、翌日帰って来るというスケジュールだったので、沖縄に対する認識はほとんどありませんでした。

それでその演奏会で沖縄に伺ったとき、祖堅先生が仰っていたのが、「こうやって大学で音楽の専門教育を行って、若い人達を育てても、彼らが地元で活動できる土壌はまだまだできていない」ということでした。先生は、それが今後の(沖縄のクラシック音楽界における)大きな課題だと考えていたんですね。それで翌年も県芸の演奏会に呼んでいただいて、いろいろと話をするうちに、私が「そのうち、そのうちと言っているだけでは何も始まらないので、実際にその土壌を作る作業を始められたらどうですか?」というお話をしたんです。それも琉響設立の一つのきっかけになったと思います。そして2000年頃から具体的に設立準備が始まって、2001年に琉響として初の演奏会が開かれ、今に続く活動が始まりました。

—-大友さんご自身も「沖縄でオーケストラを育てていく必要がある」と感じていたのでしょうか。

大友 そうですね。私は若い頃から地方の楽団と演奏会をしてきて、地方におけるオーケストラ活動にはとても意味があるし、大切なことだという認識を持っていました。ですから沖縄県域にも、音楽の文化活動を行うプロフェッショナル・オーケストラの存在は必要だと思いました。プロフェッショナルというのは、ある一定の専門教育を受けていて、音楽家として十分な技量を持ち合わせている人達が集まるチームのことです。

—-「地方にプロのオーケストラが必要」というのは、なぜでしょうか。

大友 まず、私は日本の音楽家の一人として、この国のあらゆる地域で「人々が豊かな音楽のある文化的生活を十分に享受できること」は、絶対に必要だという強い信念を持っています。日本が国家である限り、教育と文化は誰もが十分に享受できなければならない。教育のほうは義務教育も含めて、全国的にだいぶ整備されていると思いますが、一方で文化のほうはかなりの地方格差があります。ことに沖縄では、祖堅先生も懸念されていたように、他地域に比べて音楽的土壌の整備がまだまだ不十分だと感じました。

では、地方でそういった音楽的土壌を作っていくうえで、一番具体的かつ大切なことは何かというと、「優秀な音楽家がその地域を拠点として活動すること」であり、その活動を担う集団がオーケストラであるといえます。そもそもオーケストラというのは、単にクラシックの古典の名曲を演奏するだけの存在ではありません。それはオーケストラ活動のほんの一部であって、本当に大きな意味は「優秀な音楽家がその地域で活動することで、地域の教育活動や文化活動にうんと豊かな幅が出てくる」ということなんです。これは歴史も証明していますし、もう間違いないことです。ですから沖縄においても、この地域にプロフェッショナル・オーケストラが存在して活動するということが、県全体が豊かな文化圏に発展していくことにつながるのです。

●沖縄には才能豊かでパッションのある音楽家が大勢育っている

—-そのような信念のもと、大友さんは琉響の設立に参加されたわけですが、設立から現在までの20年間には、いろいろとご苦労もあったそうですね。

大友 ええ。まず、オーケストラ設立にあたって最初の課題となるのは人集めですが、沖縄は当時でも人材はある程度揃っていたので、こちらについては問題ありませんでした。そうなると次の課題は「オーケストラが安定して活動できる基本財源をどう確保するか」なんですが、これが想像以上に大変で…。最初は数年でなんとかなるのではと考えていたのですが、その希望的予測は大きく外れました(苦笑)。結局、楽団設立から20年経った現在でも、確固とした財政基盤は築けずにいるのが現状です。

—-オーケストラは通常、どのようにして基本財源を確保しているのでしょうか。

大友 本来なら自分たちの音楽活動による収入、つまり入場料収入だけで自立できればそれに越したことはないんですが、オーケストラという形態はそもそもそれが難しい、経済効率が悪い集団なんですね。これは世界の一流楽団でも同じですが、ワンステージ演奏するのに何十人もの音楽家が必要なのに、会場のキャパシティは限られているから、入場料収入だけで活動を維持するというのは不可能に近いんです。そこで通常オーケストラは、企業や自治体による寄付や助成を得ることで活動を継続しています。どういった団体がサポートするかは楽団ごとに異なりますが、基本的に民間から大きな助成を受けられるオーケストラというのは、その地域の経済力が非常に大きいケースが多いんですね。つまり、大都市圏であれば経済力のある企業や個人が多いから、そこからの支援が受けやすい。一方で地方にはそれほど大きな経済力がないので、地方自治体(都道府県や市町村)からの助成が大きな柱になっているケースがほとんどです。

沖縄の場合もその例に漏れず、民間には東京のような大きな経済力を持つ企業は存在しないので、やはり県や市町村にご理解とご支援をいただくというのが、現実的に想定される財政基盤になると思います。ただ、沖縄ではまだクラシック分野での活動や団体に多額の予算をつけるという前例がないこともあって、(助成への)ハードルが高い状態が続いています。琉響は沖縄県域において、音楽を中心とした文化活動の中核を担うだけの圧倒的なポテンシャルと歴史を持ったオーケストラです。それはもう間違いのないことですので、県民の皆さんにはぜひその認識を持っていただいて、琉響の演奏会に足を運んでいただき、活動を支援していただければと思っています。行政を動かすうえで一番の後ろ盾になるのは、やはり納税者の声ですから。

ただ、琉響のメンバーがそういった厳しい環境にもめげずに、20年も活動を続けているというのは、本当に素晴らしいことだと思います。特に2013年に祖堅先生が亡くなられてからは、団員が一丸となって頑張ってきました。中でも素晴らしいのは、本格的な演奏会を定期的に開き続けていることです。現在、琉響のメンバーを含めて、沖縄でオーケストラの演奏に参加できるプレーヤーは40名弱しかいなくて、本格的な演奏会を開くには人数が足りないんです。そうなると演奏会のたびに県外からエキストラプレーヤーを集めなくてはならず、これは経済的に大変な負担なんですね。でも、そういうことも乗り越えて、琉響は20年間ずっと活動を続けてきた。また、定期演奏会以外にも、沖縄県域における音楽の教育活動や普及活動も地道に続けていて、これはやはり琉響の誇るべき歴史だと思います。

—-大友さん自身もこれまで、ほぼ手弁当で琉響の活動に携わってこられたそうですが、それもメンバーの皆さんのそういった姿に心を動かされたことが大きいのでしょうか。

大友 それもありますが、そもそも沖縄には県芸の卒業生も含めて、非常に才能豊かでパッションのある音楽家が大勢育っているわけです。この魅力的な才能ある人達が、沖縄県内で十分な活動が行えてしかるべきだという認識は、私も早いうちから持っていましたから。それにやはり、これも何かの縁ですしね。財源確保が難しいからといって、途中で諦めて挫折するのは私自身も悔しいし、逆に闘志が湧いてくるというか(笑)、こんな大事なミッションを中途半端には投げ出せないという思いは、年を経るごとに強くなっています。

●沖縄の土壌や地域性を活かした、県民に本当に喜ばれる音楽活動を目指す

—-今回、待望の2ndアルバム『沖縄交響歳時記』がリリースされました。1stアルバム『琉球交響楽団』から15年ぶりの新作となりますね。

大友 そうですね。最初のアルバムは、沖縄の民謡やわらべ歌などをオーケストラのインストゥルメンタルで演奏するというアイディアで作られた作品で、これはレコーディングも楽しかったし評判にもなりましたし、それ以降、琉響が活動していくうえでも大きな財産になったと思っています。ただ、その後は先ほどお話ししたような状況で、財政的にはずっといばらの道が続いてまして(苦笑)。なかなか突破口も見えない状況でしたが、だからこそ新たに何か夢を見たり、希望を持たなきゃいけないというのは、メンバーも私もずっと考えていたんです。それで今回、創立20周年という節目が見えてきたところで、思いきってニューアルバムを作ろうと決めました。

—-今回のアルバムに収録されているのは、作編曲家の萩森(はぎのもり)英明さんが琉響のために書き下ろした「沖縄の四季」をテーマにした全6楽章の交響組曲「沖縄交響歳時記」ですね。曲のあちこちに沖縄民謡やわらべ歌のフレーズが織り込まれていて、沖縄の四季折々の風物や風景が詩情豊かに描かれています。今回、前作のような既存曲のオーケストラアレンジではなく、さらにいえばクラシックの名曲でもなく、このような新曲に挑んだのはなぜでしょうか。

大友 そもそもオーケストラの活動において、何よりも大事なのは「地域のお客さまに、本当に楽しんでもらえる音楽を提供すること」だと思います。オーケストラが演奏会でクラシックの名曲を紹介するのは、その活動の一部であるに過ぎません。そして沖縄はプロオーケストラの歴史がまだ浅くて、いい意味でプロオーケストラについての固定観念も実績もないから、斬新な試みがやりやすいんですね。そこで琉響の演奏会では、これまでも比較的熱心に新しい作品や、地元の作曲家の作品をプログラムに盛り込んで紹介してきました。たとえば何年か前には、「えんどうの花」で知られる沖縄の作曲家、宮良長包の歌曲だけで定期演奏会を開いたこともあります。これはまさに「沖縄ならでは」の演奏会で、私も初めて指揮する曲ばかりでしたが(笑)、とっても素敵な曲がたくさんあって、参加してくれた歌手の方々の歌も素晴らしくて、会場も温かな空気に包まれて、「本当にいい演奏会になったなあ」と思いました。

そしてもう一つ、私が「沖縄ならでは」を実感した出来事があります。以前、休暇で名護に滞在していたとき、市民会館で自衛隊の音楽隊の演奏会があったので、聴きにいったんですよ。無料ということもあってか会場は満席で、演奏もとても良かったんですが、アンコールになったらメンバーが三線を持って出てきて、沖縄の民謡を演奏し始めたんですね。そうしたら間髪を入れず、もう音が鳴った瞬間に会場中のお客さんが総立ちになって、カチャーシーを踊り出したんです。あの光景を見たとき、私はもう驚きというかショックというか、「沖縄の芸能文化というのはすごいな」と思いました。こんな光景、他の地域では見たことないですよ。

そんな土地柄ですから、オーケストラの活動においても沖縄の土壌や地域性を活かして、県民の皆さんに本当に喜んでいただける音楽活動、つまりは既存の概念に囚われない「沖縄ならではのオーケストラ活動」をしていくことが、琉響にもっともふさわしいと思うんです。もちろん琉響は優秀なオーケストラですから、クラシックの名作は何でも演奏できます。でもそれよりはむしろ、自分たちのオリジナルの新作を生み出して、その作品で多くのお客さまに感動していただく、そういう活動にウエイトを置いたオーケストラになり得ると私は考えていますし、おそらくメンバーの考えも同じだと思います。そういう意味合いもあって今回のアルバムでは、前作のような既存曲のアレンジではなく、完全なオリジナル作品でいこうと決めました。

●沖縄の外から才能ある仲間を迎えて、新しい作品を生み出した

—-「沖縄交響歳時記」作曲者の萩森さんは東京出身で、テレビの音楽番組「題名のない音楽会」などでも活躍されている作編曲家ですね。

大友 ええ、彼は日本の音楽界の第一線でさまざまな音楽を書き続けている、現場のたたき上げと言っていい人です。私自身も何度も彼にアレンジをしてもらったり、作曲してもらった経験があって、今回もがんばってくれるだろうと期待して書いてもらいました。萩森さんは沖縄県の出身ではないですが、この作品では沖縄のさまざまな音楽の素材を本当にていねいに集めて、咀嚼して消化して、彼なりのイメージの沖縄を描いていると思います。

そもそも新しい創作物を作るときには、何か新鮮な組み合わせというか、今までになかったものが混ざり合ってできる世界の広がりというものが、絶対に必要だと思うんです。純血にこだわるより、自分たちにない感覚や刺激を受け入れながら作るほうが、よりいっそう力強く、大きな世界が広がっていく可能性が大きい。これは私の人生経験や音楽的経験からも実感していることです。だいたい「純血」なんて言い出したら、西洋の音楽であるクラシックを日本人が演奏すること自体、否定されてしまいますし(笑)。その意味で「沖縄の作曲家でなければ沖縄の曲が書けない」ということはないし、琉響ではむしろ沖縄の外から才能豊かなアーティストを仲間に迎えて、新しいものを作っていきたいと考えました。この挑戦は結果的に成功したと思います。萩森さんはとても素敵な作品を書いてくれて、本当にいいアルバムができました。

—-6/12(金)には東京のサントリーホールで、CD発売記念ライブが開催予定です。東京公演は琉響にとって初の県外公演ということで、楽しみですね。

※東京公演は、新型コロナウイルス拡散防止のため4/6(月)から延期して開催予定だったが、終息の見通しが立たないため2021/6/21(月)に再延期。4/3(金)にアイム・ユニバースで予定していた沖縄公演は延期(振替公演日は調整中)。

大友 ええ。県外公演はメンバーとも「いつかやってみたいね」と話していたんですが、今回いろいろな幸運が重なって、ついに実現することになりました。今回の演奏会とアルバムは、20年におよぶ琉響の歴史の中でも本当に大きな節目になります。これをまた一つの力に変えて、今後もみんなで粘り強く、活動を継続していきたいと思っています。

 

●創設者の遺志を継ぎ、団員一丸となって活動を続けてきた

—-ここからは、琉響の楽団員代表を務めるヴァイオリニストの高宮城徹夫さんにお話を伺います。高宮城さんは、創設当初から琉響に参加されていたのですか?

高宮城 僕が琉響に参加したのは、創立の半年後くらいからです。僕は琉球大学を卒業後、東京藝術大学の別科でヴァイオリンを学び、東京で2年ほどオーケストラ活動をして、30歳で沖縄に帰ってきたんですが、ちょうどその前年の1990年に、県芸に音楽学部ができまして。そこで教授をなさっていた祖堅先生が、沖縄にオーケストラを作ろうとしているという話は聞いていましたが、僕自身は「今の状況だとかなり難しいだろうな」と思っていました。県内の音楽家の数は限られていて、演奏会のたび県外から人を呼ぶことになるのでお金がかかりますし、企業や自治体の助成が約束されているわけでもないですし。でも祖堅先生は「沖縄の音楽家が地元で活動できる基盤を作りたい」との思いが強く、2001年に琉響を立ち上げられました。

僕は設立コンサートには予定が合わなくて参加できず、その後の第1回定期演奏会からは毎回参加しているんですが、琉響で演奏を重ねるにつれ、「やっぱりプロオーケストラは違うな」と実感するようになりました。僕は当時、沖縄のアマチュアオーケストラでコンサートマスターをしていたんですが、アマチュアのオーケストラをまとめるのはとても大変で、1曲を仕上げるのに3か月くらいかかるんです。でも琉響は全員が音楽の専門教育を受けたプロの演奏家だから、演奏会前のリハーサルは3日間もあれば十分。もちろんアマチュアでも上手な方はたくさんいますが、我々のように音楽の専門教育を受けてきた者は、単に演奏の技量が高いというだけではなく、音楽についての知識量が違うんですね。「音楽というのはこういうものだ」とわかっているので、すぐに音を合わせられる。この違いは大きいです。

—-創設後は、年に2回の定期演奏会を中心に活動を続けてこられたそうですが、楽団の運営はずっと祖堅さんが担っておられたのでしょうか。

高宮城 そうです。資金面も含め、運営は祖堅先生がほとんどお一人でこなしていました。予算的にも、広告や協賛金で足りない分の活動費は、先生のポケットマネーから出ているような状態で…。ですから先生が2013年に急逝された後は、メンバー全員で「先生が今までなさっていたことを、今後我々だけでできるだろうか?」と、すごく悩みました。でも、やるしかないんですよね。「沖縄初のプロオーケストラを潰すわけにはいかない」ということで、それ以降は楽団員が一丸となって動くようになりました。みんなで手分けしていろいろな勉強会に出たり、他の交響楽団の視察をしたりして運営のノウハウを学び、やっと今のような運営体制が取れるようになりました。

●モットーは「音楽の力で県民を笑顔にする」

—-現在、琉響が活動していく中で、もっとも大事にしていることは何でしょうか。

高宮城 楽団のモットーは「音楽の力で県民を笑顔にする」です。やっぱり、聴いた方に喜んでもらえると演奏家冥利に尽きますし、逆に喜んでもらえなかったら、演奏するモチベーションも上がりませんから。そういう意味では我々も、皆さんにとにかく楽しんでもらえるようにと、定期演奏会の他にも学校や離島を回って演奏したり、市役所などで無料のロビーコンサートを行うなど、いろいろな活動をしてきました。時にはかぶりものをして演奏したりね(笑)。中でも特に好評なのが「0歳児からのコンサート」シリーズです。これは名前の通り、0歳児から入場可能なコンサートで、曲目も子どもと一緒に楽しめるプログラムを用意しています。通常の演奏会だと、チケットは団員による手売りに頼る部分も大きいんですが、この「0コン」だけはプレイガイドだけでチケットが売り切れるので、すごく助かってます(笑)。

—-やはり活動を継続していくうえで、一番の苦労は資金面でしょうか。

高宮城 それもありますけど、もう一つは団員の人数が少ないことですね。今、琉響の団員は40名弱なので、その人数でできることは限られてしまいます。やりたいことはたくさんあるんだけど、人手とお金のやりくりが大変というか。

—-団員がなかなか増えにくいのも、資金的な問題が大きいのでしょうか。

高宮城 そうですね。本来であれば祖堅先生が目指したように、県芸を卒業した人や、県外で活動していて沖縄に戻ってきた人が、琉響を主体に活動できるのが目標ですが、現状ではオーケストラだけで食べていくのは難しい。団員はみんな生徒を持ってレッスン収入を得ながら、オーケストラ活動をしているという状況です。これはもう「オーケストラをやりたい」という情熱だけで続けているようなものですね。ただ、現在も県芸の学生と一緒に演奏する機会は多いですし、吹奏楽では毎年交流演奏会も開いたりしているので、そういった行動が今後につながればと思っています。

●沖縄の楽器を多用せず、クラシックの手法で沖縄を表現

—-今回のニューアルバム『沖縄交響歳時記』は、琉響にとって15年ぶりの新作となります。リリースにあたっては、クラウドファンディングも活用されたそうですね。

高宮城 はい。新しいCDについては、大友先生もだいぶ前から「出したい」と仰っていたんですけど、なにぶん我々にはお金がなくて。定期演奏会を年に2回開くだけでも精一杯なのに、さあどうする?となったとき、(CDの発売元である)リスペクトレコード社長の高橋研一さんが勧めてくださったこともあり、クラウドファンディングで制作資金を募ることになりました。最初は総制作費750万円のうち、半分弱の350万円を目標にしていましたが、最終的には500万円以上の支援が集まり、リリースに向けて大きな力をいただきました。

—-今回の収録曲は琉響のために書き下ろされた新曲ですが、演奏してみての手応えはいかがでしたか?

高宮城 萩森さんの曲は、以前も定期演奏会で演奏したことがあって、そのときも同じことを思ったんですが、最初にパート譜をもらって自宅で練習してても、自分のパートだけでは全体像がぜんぜんわからないんですね。そういうときは「これ、どうなるんだろう」って不安になるんですが、いざ全員で集まって合奏してみると、音楽がまとまって膨れ上がるというか、すごく世界が広がっていく感じがして、びっくりするんです。今回は僕が全員のパート譜を作ったので、僕自身はスコア(総譜)は見てるんですが、やはり以前と同じで「ちょっと難しそうだけど、演奏したら世界が広がりそうだな」という予感はありました。

そして実際に演奏してみたら、本当にとっても良かったんです。萩森さんは沖縄の音楽をよく勉強されているし、すごい才能だなと思いました。普通、既存の曲のフレーズを集めて一つの楽曲を作ろうとしたら、統一感を出すのがなかなか難しいんですが、この曲は見事にまとまっています。また、曲中では三線や島太鼓など沖縄の楽器も使ってはいますが、それらはアクセント程度で、たくさんは入れていないんですよね。沖縄の楽器はたっぷり入れると沖縄色は出やすいですけど、そこをあえて多用せず、言ってみれば奇をてらわずに、伝統的なクラシックのテクニックで曲を仕上げている。それはすごく賢明だし、彼の「これは自分の音楽だ」という強い意志を感じます。そしてオーケストラ曲でありながら、その中に毅然として「沖縄」が存在しているのも素晴らしいと思いました。結果的にはリハーサルもうまくいって、レコーディング完了まで3日間で終えることができ、僕自身もとても楽しんで弾けました。

—-琉響にとっても、楽団の代表曲ができましたね。

高宮城 ええ。ただ、これはあくまで萩森さんの曲であって、琉響の曲ではないんですよ。そもそもオーケストラの楽曲には必ず作曲家がいるので、オーケストラに「自分たちの曲」というのは存在しないと思います。ただ、この曲は「私たちの地元である沖縄の曲」という部分を前面に出すことができるので、そこは僕らの強みになると思っています。

—-今後は東京と沖縄で、それぞれ発売記念コンサートが予定されていますが、それに向けての意気込みをお聞かせください。

高宮城 東京公演は、琉響としてはもちろん初めてのことなので、本当に楽しみです。当日は「沖縄交響歳時記」も演奏しますが、客演にピアニストの辻井伸行さんを迎えて、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番と、辻井さん書き下ろしのオリジナル曲「沖縄の風」も演奏します。辻井さんは、沖縄にはコンサードなどで何回かいらしてるようですが、琉響とは特に接点はなかったので、今回東京で弾いていただけることになってびっくりしましたし、とても嬉しく思っています。当日、団員は全員演奏しますが、それだけでは人数が足りないので、東京在住の演奏家にも参加していただくことになります。東京には沖縄出身の演奏家もけっこういて、そういう方々も参加してくださるので、当日のステージは普段よりウチナーンチュ度が高くなるかもしれませんね(笑)。

また、沖縄公演では「沖縄交響歳時記」のほか、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」などを演奏する予定です。ぜひ県民の方々にも足を運んでいただき、演奏を楽しんでいただければと思います。
(取材&文・高橋久未子/撮影・喜瀬守昭)

琉球交響楽団(りゅうきゅうこうきょうがくだん)
2000年春、琉球交響楽団設立準備委員会を発足。ミュージックアドバイザーに国際的指揮者の大友直人を迎え、2001年3月沖縄コンベンションセンターにて「琉球交響楽団設立コンサート」を開催。

楽団員は地元沖縄で活動している演奏家で構成。年2回の定期演奏会の他、小・中・高等学校での音楽鑑賞会、また、第3回、第4回世界のウチナーンチュ大会、沖縄本土復帰30周年、40周年、第46回米州開発銀行(IDB)総会など、政府や沖縄県からの公演も多数行っている。

また、オーケストラをより身近に楽しんでもらおうと、2015年より「0歳児からのコンサート」「オーケストラで紡ぐ沖縄民話絵本の読み聞かせ」を開始。2016年からは大友直人を音楽監督に迎え、「これまで以上に聴衆とのふれあいを大切に、県民に親しみ愛され、国際色豊かな沖縄県の顔となる交響楽団」を目指して活動している。

大友直人(おおとも・なおと)
桐朋学園大学を卒業。22歳で楽団推薦によりNHK交響楽団を指揮してデビュー。現在、群馬交響楽団音楽監督、東京交響楽団名誉客演指揮者、京都市交響楽団桂冠指揮者、琉球交響楽団音楽監督。また、2004年から8年間にわたり、東京文化会館の初代音楽監督を務めた。

在京オーケストラの定期演奏会にとどまらず、これまでにコロラド交響楽団、インディアナポリス交響楽団、ロイヤルストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団などに招かれ、2012年にはハワイ交響楽団のオープニングコンサートを指揮、同年6月にはロネーヌ国立管弦楽団の定期公演に客演。絶賛を博し、欧米での活躍にも大きな期待が寄せられている。

オペラにも力を入れており、1988年、日生劇場における『魔弾の射手』でのオペラデビュー以来、オペラの指揮も高く評価されている。特に2006年8月イタリアで開かれたプッチーニ音楽祭では、三枝成彰作曲オペラ『Jr.バタフライ』や、2013年1月には同作曲家のオペラ『KAMIKAZE-神風-』の世界初演、そして2014年1月には千住明作曲の新作オペラ『滝の白糸』を指揮し、大きな話題となった。

第8回渡邊暁雄音楽基金音楽賞(2000年)、第7回齋藤秀雄メモリアル基金賞(2008年)を受賞。大阪芸術大学教授、京都市立芸術大学客員教授、洗足学園大学客員教授、愛知県立芸術大学客員教授。

2020年1月、初の著書『クラシックへの挑戦状』を中央公論新社より発売。音楽とはなにか、クラシックとはなにか、指揮者とはなにかを突き詰めた渾身の書下ろし。
本の情報はこちらから⇒http://www.chuko.co.jp/tanko/2020/01/005261.html

[CD Info]
大友直人指揮 琉球交響楽団
『沖縄交響歳時記』
リスペクトレコード
RES-323
3,000円(税別)
2020/3/4発売
http://www.respect-record.co.jp/discs/res323.html

Amazon
https://amzn.to/36LPFht

[Live Info]
◆琉球交響楽団 特別演奏会
※本公演はコロナウイルス拡散防止のため延期となりました(振替公演は調整中)。

https://www.ryukyusymphony.org/

指揮:大友直人

プログラム:
モーツァルト 歌劇《皇帝ティートの慈悲》序曲
ベートーヴェン 交響曲第5番「運命」
萩森英明『沖縄交響歳時記』

日時:2020/4/3(金)18:00開場/19:00開演
場所:アイム・ユニバースてだこホール(浦添市)
料金:前売一般3,000円/大学生以下1,500円/親子(一般+高校生以下)3,500円(当日各500円増)
問合せ:琉球交響楽団事務局 TEL.090-9783-7645

◆琉球交響楽団《はじめての東京公演》

※本公演はコロナウイルス拡散防止のため、4/6(月)から6/12(金)に延期となりましたが、終息の見通しが立たないため、2021/6/21(月)に再延期となりました。

https://avex.jp/classics/ryukyu2020/

指揮:大友直人
ピアノ:辻井伸行

プログラム:
モーツァルト 歌劇《皇帝ティートの慈悲》序曲
ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番
辻井伸行『沖縄の風』
萩森英明『沖縄交響歳時記』

日時:2020/6/12(金)18:15開場/19:00開演
場所:サントリーホール(東京都港区)
料金:S席9,800円/A席7,800円/B席5,800円/C席4,800円
問合せ:チケットスペース TEL.03-3234-9999

◆琉球交響楽団 第37回 定期演奏会

※本公演は新型コロナウイルス拡散防止のため中止となりました。

https://www.ryukyusymphony.org/

指揮:大友直人
ピアノ:清水和音

プログラム:
ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番
ラフマニノフ 交響曲弟2番

日時:2020/3/1(日)15:00開場/16:00開演
場所:アイム・ユニバースてだこホール(浦添市)
前売料金:一般3,000円/大学生以下1,500円/親子(大人1名+高校生以下1名)3,500円 ※当日券は各500円増
問合せ:琉球交響楽団事務局 TEL.090-9783-7645