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箆柄暦『一月の沖縄』2019 映画『洗骨』照屋年之(ゴリ)&奥田瑛二

2018.12.26
  • インタビュー
箆柄暦『一月の沖縄』2019 映画『洗骨』照屋年之(ゴリ)&奥田瑛二

《Piratsuka Special Interview》

映画『洗骨』
照屋年之(監督)×奥田瑛二(主演)

~洗骨がつなぐ命のリレーを描く~

「洗骨」は、沖縄や奄美などで行われてきた葬儀の風習だ。死者をいったん風葬にし、数年経って骨だけになった頃に棺桶を開け、その骨を洗い清めて再び埋葬する。現在では沖縄でも一部地域にだけ残る葬制だが、その洗骨をテーマに、家族の絆と再生をハートフルコメディ調に描いた長編映画『洗骨』が、この1月から沖縄で、2月から全国各地で、順次公開となる。

本作の監督と脚本を手がけたのは、沖縄出身の人気芸人「ガレッジセールのゴリ」として知られ、12年前からは映画監督としてもキャリアを積んできた照屋年之だ。主演は、映画やテレビドラマで長年にわたり活躍を続けている人気俳優、奥田瑛二。二人はそれぞれどのような思いで、この作品に取り組んだのだろうか。

取材では、自身も映画『パイナップル・ツアーズ』などでメガホンを取り、近年は沖縄の映像記録のアーカイブ事業にも携わる映画監督・真喜屋力(まきや・つとむ)がインタビューを行い、「洗骨」と向き合った二人の心情に迫った。

●洗骨は「命のリレー」に感謝する作業

映画『洗骨』の舞台は、沖縄本島の北西にある離島、粟国島(あぐにじま)。4年前に亡くなった母・恵美子(筒井真理子)の洗骨をするため、県外に住む息子・剛(筒井道隆)と、娘・優子(水崎綾女)が島に戻り、島で一人暮らしをしている父親・信綱(奥田瑛二)と再会する。しかし家族はそれぞれに問題を抱えており、互いの気持ちを理解し合えずに衝突する中、洗骨の日が近づく…という物語で、11月中旬には一般公開より一足早く、ロケ地の粟国島で上映会が開催された。このインタビューが行われたのは、その上映会の翌日。島での反応は「とてもよかった」と、二人は嬉しそうに語った。

—-昨日は粟国島で『洗骨』の上映会が行われたそうですね。島の皆さんの反応はいかがでしたか。

照屋年之 予想以上にたくさんの方が集まってくれて、とても盛り上がりました。普通、粟国島で何かイベントがあった場合、集まるのは50人とか、多くて80人くらいだそうなんです。それが200人近くも集まってくれて。島の方々の(この映画に対する)関心度も高かったんだなあと。

奥田瑛二 もともと人口が700人ちょっとの島ですからね。こんなに集まったのは久々だって、島の方も言ってました。

照屋 子供もいっぱい来てましたし。子供達、最初のほうでは騒いでたんだけど、後半の(洗骨のために)棺桶を開けたところで、シーンとなって。

奥田 そこからエンドロールまでは、一言も声を出さずに見入ってたね。

照屋 やっぱり子供にも伝わるんですね。骸骨は出てくるけど、別におどろおどろしいものではないし、(登場人物も)ぜんぜん嫌がらずに、手で触って洗っている。しかも、自分達と同じくらいの年の子供もその作業に加わって、骨に水を掛けている。その光景は、子供達にとっても不思議な感じだったんじゃないでしょうか。

—-そもそも、照屋監督が「洗骨」を映画のテーマに選んだのは、どういった理由からだったのでしょうか。

照屋 9作目となる短編映画の企画を進めていたとき、たまたま洗骨の話を聞いたのがきっかけです。その短編映画は粟国島を舞台に撮ることが決まっていて、当初はまったく違う内容の脚本ができあがってたんですけど、映画のプロデューサーがふと「そういえば粟国島って、まだ洗骨やってますよね」って言い出して。僕はそれを聞いて「なんて興味をそそる風習なんだ!」と思ったんです。だって、自分の大切な人が亡くなっただけでも悲しいのに、洗骨は数年後に棺桶を開けて、その人の変わり果てた姿にもう一度対面しなきゃいけない。つまり、二度も悲しみを味わうことになるわけです。

でも、そんな辛いことをなぜやるかといえば、やっぱり先祖を敬う気持ち、そして「命をつないでくれてありがとう」って感謝の気持ちを確認する作業だからじゃないかと。人は誰でも生まれたら必ず死ぬ、それはすべての人間に共通することです。それで「これは映画になる!」と思って、最初の脚本を全部捨てて、洗骨をテーマにイチから企画を作り直しました。それが2016年に制作した短編映画『born、bone、墓音。』です。ただ、スートリーや登場人物の家族構成は、今回の長編とはぜんぜん違います。今作は今作で、まったくのゼロから作りました。

—-短編作品では、監督が演じる主人公の父親が亡くなるという設定ですが、今回の長編で亡くなるのは母親のほうですね。これは、監督のお母さんが亡くなられたことも影響しているとか。

照屋 ええ。母が亡くなったのは短編映画を作った後ですが、そのときに「母がいなかったら、自分は今、ここにはいないんだな」と思ったんです。この作品では、その「命のリレー」を伝えたいと思いました。あと、僕の母も(『洗骨』の主人公の妻)恵美子のように苦労して、亡くなる前は病気で苦しんでいたので、母のことを思ったら、長編の脚本はさらさらっと書けました。

監督の「いい粘り」がキャラクターを生かす

—-今作では、主人公の信綱役・奥田瑛二さんはじめ、主要キャストの多くが沖縄の役者さんではなく、本土の方ですよね。これは何か意図があってのことだったんでしょうか。

照屋 これもたまたま、僕が求めるキャラクターを演じられる俳優さんが、本土にいたってことですよね。

—-皆さん、すごくハマっていました。沖縄方言の台詞も自然に聞けましたし。

照屋 方言については、あらかじめ台詞を録音した音声をお渡ししてあって、皆さんそれを聞き込んでから粟国島に来られたので、本当にイントネーションが自然でした。こういう映画では、イントネーションに違和感があると、物語が(見る側の中に)入ってこないじゃないですか。でも、昨日作品を見た粟国島の方々も、「全員沖縄の人かと思うくらい、違和感なかったよ」って言ってくれたし、物語の中に入り込んで、たくさん泣いたり笑ったりしてくれました。それだけ役者さん達が沖縄の人になりきって、役を作ってくれたってことだと思います。

—-奥田さんは、方言の台詞はいかがでしたか。

奥田 僕は役者だから、どこの方言でも演りますが、パーフェクトってのは永久にないと思うんです。ただ、(お手本の)方言の台詞を、音楽を聴くみたいにずーっと聞いてると、言葉じゃなくて「音」が肉体に染み込んでいくんですね。僕はそれが一番重要なことだと思っていて。そして僕自身が「信綱」というキャラクターと一体化して、「奥田瑛二」ではなく「奥田瑛二が演じる信綱」になって、そこから言葉が自然に出るところまではやるぞ、と。自分としては、精一杯のことをやってからカメラの前に立った、という気持ちです。

とはいえ昨日の上映会では、「本物」の島の方が200人以上いる前で(自分の方言の演技を)見ていただいたわけで、さすがに怖かったですね(笑)。ただ、上映会が始まる前に、当日司会をしてくれた沖縄の若い芸人さんが「びっくりしました、奥田さんは粟国島の方だったんですね」って言ってくれて、ちょっと安心しました(笑)。「ああいうオヤジ、沖縄にいるんですよ」って。そう言われたら、やっぱり嬉しいですよね。

でもそれもすべて、照屋監督のおかげです。監督は、ダメだと思ったときに妥協するようなタイプじゃないんですよ。撮影自体はリズムよく進むんだけど、端々にきちっと「粘り」があるんです。それは画角がどうのこうのとか、そういう細かいことじゃなくて、現場全体をアンサンブルとして見たときの、人と人とのほんのちょっとした「間」の取り方というか。主役の気持ちに合わせて、他のキャラクターとの「間」を作っていく。そうするとシーン全体が生きてくるし、役者も安心して現場にいられるんです。

役者って「いい粘り」がある現場だったら、何度演じてもぜんぜん疲れないんですよ。逆に元気が出てきて、演技がこなれていく。役者を自然体に置いておくことができる粘り、それができる監督なんです、彼はね。だから僕はもう、全面的に監督を信頼して演じました。そうでなければ、あの「信綱」というキャラクターは生まれてない。

照屋 といっても、僕が粘ったのは初日から数日間だけでしたよ。最初は監督と役者さんの間で、お互いが思ってるキャラクターのズレを調整する作業が必要なんです。「そこはもうちょっと感情的に」とか、「そこはもっと冷静に」とか。そういうことを演者さん達とやりとりするうち、次第に「あ、監督が求めるキャラクターって、これか」って、皆さんもわかってくる。そうなったらもう、役に命が吹き込まれているから大丈夫。

あと、僕がこだわったのは笑いの部分ですね。笑いについては、僕はずっとその世界で生きてきたので、「もう少し間を置いてから台詞を言ったほうが、もっと笑えます」とか伝えて、何度かやり直してもらったりしました。

奥田 またその「笑い」の指示が絶妙なんだよね。監督の求めている「間」がハマったときは、やっぱりすごく面白くなりましたから。

●ダメ人間が頑張ろうとする美しさが好き

—-奥田さんが演じる信綱は、「気が弱くて情けないダメオヤジ」という設定です。これまで奥田さんが演じてこられたキャラクターとは、まったく違いますよね。

奥田 実は、完成した映画を見るのは昨日が二度目だったんですが、自分でも「えー、僕ってこんなんかよー、うわー」って思いながら(笑)、でもどんどん引き込まれて見ていました。見終わった後はヘンに頭が痛くなったんですが、そんなことは(自分の出演作では)初めての経験で。あれは信綱のせいですよ(笑)。

照屋 僕も改めて思いますけど、今までテレビや映画で見ていた奥田さんって、すごくかっこいいイメージでしょう。でも『洗骨』に出ている1時間51分の間は、「奥田瑛二」じゃなくて「ダメ田瑛二」ですよね(笑)。撮影の最初の頃は、目の中にまだ「奥田瑛二」が残っていたので、「“奥田瑛二”を取ってください」って、何度もお願いして。奥田さんは「お前、誰に向かって言ってんだ」とか言いつつも(笑)、「お前が監督なんだから、お前の言う通りにやる」って言ってくださって、ダメな信綱のキャラクターができあがっていきました。

—-しかも、普通は途中でダメ男が奮起して大逆転したりしますが、信綱は最後までダメなままで(笑)。

照屋 はい、最後まで情けないんです(笑)。でも信綱って、もともと優しい人なんですよ。悪気がなくて、人を裏切れない。だからこそ自分が裏切られたら立ち直れないし、奥さんが亡くなって、さらにダメになってしまう。

僕ね、ダメ人間が頑張るのが好きなんです。もちろん頑張って成功するのもいいんですけど、たとえ成功しなくても頑張ろうとした、その美しさが好き。そして、その頑張りに協力する周りの人がいる、そういうのも大好きなんです。

結局のところ、人間はどうしたって他人と一緒に生きてかなきゃいけない。人づきあいって一番面倒くさいけど、それがなければ生きていけないんです。だからぎくしゃくするけど、感動も生まれる。これは永遠に共感を呼ぶテーマだと思うので、手を抜かずにきちんと描けば、見る人は絶対に喜んでくれると思っています。

奥田 僕、出演作はいつもかみさん(エッセイストでコメンテーターの安藤和津さん)に見てもらうんですが、今回ほど「早く見てくれよ」って言ったことはなかったです。でも、かみさんは「私、この映画は映画館で、他のお客さんと一緒に見たいの」って言ってて。マスコミ向けの試写会だと、みんな一般客とはちょっと違った視点から見ようとしてるから、そういう空気感の中では見たくないと。

それで昨日、僕も粟国島で見たとき、「ああ、かみさんにはやっぱり、公開初日に劇場で見てもらおう」と思ったんです。この作品はやっぱり、お客さんがいる中で見てほしい。それくらい、この信綱というキャラクターと『洗骨』という映画は、自分の中で大切な作品になりました。

照屋 でも、奥田さんのご家族がこの映画を見たら、なんて仰いますかね(笑)。「えっ、パパ、こんななの? これってパパなの?」ってなりますよね、たぶん。だってきっと家でも、あんな情けない姿、見せたことないですよね?

奥田 ないないない(笑)。うちのかみさんは、僕にとって一番の評論家ですからね。見てもらうのがすごく楽しみです。

照屋 しかも「公開したら劇場で見たい」って言ってくださったのが嬉しいですよね。昨日の上映会でも、粟国島の方達は自然体で見てるから、面白いシーンではどんどん笑い声が上がるし、泣けるシーンではすすり泣きがいっぱい聞こえてきて、逆にこっちが感動するくらいでした。僕自身は編集作業もしてて、どのシーンも腐るほど見てるのに、昨日の上映会では今まで一度も泣きたいと思わなかったシーンで思わず泣きそうになって、自分自身がびっくりしました。それってやっぱり、お客さんと一緒に見てるからなんですよね。「あ、俺、ここで感動するんだ」って、不思議な感覚でした。

●洗骨は生きている者が自分を見つめ直す機会

—-映画を見るシチュエーションって大事ですよね。特にロケ地で見ると、辛いときもありますけど、映画のいい部分が強く感じられることもありますし。

照屋 やっぱり緊張感はありますよね。今回は、粟国島の方に「こんなの本当の洗骨じゃない、間違ってるよ」って言われたらどうしよう、と思ってたんですけど、上映会後の懇親会で島の方々と飲んでても、そんな指摘は一切出てきませんでした。

今は粟国島でも、洗骨をする家はどんどん減っていて、火葬が主流になってるそうなんです。もしこの先、洗骨という風習が完全に途絶えたとき、この映画は洗骨の記録映画にもなるんじゃないか、って話も出て。洗骨の手順やノウハウもぜんぶ、映画の中で描いてますから。

奥田 そう、島の方にとっても最高の記録映画じゃないですか。そしてこの映画を見た島のお年寄りの中には、「やっぱり私は洗骨にしてほしい」って言う方もいるんじゃないかなあ、と思ったら、僕も胸が熱くなりました。洗骨という風習は、お坊さんがお経を上げるとか、そういうのとはまったく次元が違うものだと思うんです。「火葬のほうが面倒くさくないから、さっさと火葬で済ませればいい」ってことではなくて、やっぱりこの風習は残さなくちゃいけない。

—-故人の骨を取り出して洗う行為は、辛い部分もありますが、亡くなった人にもう一度逢えるチャンスでもありますね。

奥田 洗骨は、生きている者が(死者との再会を通して)もう一度自分を見つめ直す機会だと思うんです。100人いれば100通りの人生があって、100通りの死に方がある。亡くなった人がどんな生き方をして、どんな死に方をしたのか、それによって(生きている者が)棺を開けるときの気持ちは違う。でも、それもその人の宿命というかね。棺を開けた瞬間に、故人とのつながりを再確認して受け止める儀式、それが洗骨なのかな、と。

そう考えると洗骨って、僕にとってはとても魅力的な葬儀なんです。この先「僕も死んだら粟国島で洗骨にしてくれ」って、言い出すかもしれない(笑)。

照屋 うわ、すごい、そういう考え方がありましたか!(笑) もし奥田さんの洗骨をやるなら、僕も骨を洗いに行きますよ(笑)。

奥田 だって、粟国島のあの断崖絶壁の、風通しのいいところに葬ってもらうんだったら、気持ちいいし、ぜんぜん寂しくないもの。あそこは理想の墓ですよ。

—-でも、粟国島で洗骨してもらうためには、少なくともあと2~3回は粟国島に通わないといけませんね(笑)。では最後に、本作について一言ずつお願いします。

照屋 この作品は、見た後で自分の親とか兄弟とか、おじいちゃん・おばあちゃんとか、家族との接し方に少し変化が生まれてくるような映画だと思うんです。そういう意味でこの映画が、見てくださった方の日々の生活に、少しでも役に立てれば嬉しいです。

奥田 僕が確信犯として申し上げるなら、これは「己を見つめる映画」ですね。見終わった後に、己を見つめるチャンスをくれる映画、というか。僕自身もこの「信綱」という役を通して、本当にしょっちゅう自分自身を見つめたし、心の声と自問自答しましたから。いい意味で、見た人を少しずつ大人にしてくれる映画だと思います。

肉親の死という重めのテーマを題材にしつつ、随所に笑いも盛り込み、命のつながりの尊さを温かく描く『洗骨』。粟国島の風景や、洗骨というレアな儀式の描写、ウチナーンチュさながらの役者陣の熱演も見応え十分だ。沖縄県民も全国の沖縄ファンも、どうぞお見逃しなく。

(取材・真喜屋力/文・高橋久未子)

照屋年之(てるや・としゆき):1972年生まれ、沖縄県出身。日本大学芸術学部映画学科演劇コースを中退後、中学の同級生だった川田広樹とお笑いコンビ「ガレッジセール」を結成。テレビ番組を中心に活躍し、2005年には「ゴリエ」のキャラクターで大ブレイク。その後は俳優としても活躍の場を広げ、NHK連続テレビ小説「ちゅらさん」では主人公の兄役を好演。
2006年、短編映画『刑事ボギー』で監督デビューを果たす。2016年『born、bone、墓音。』は、ショートショートフィルムフェスティバル&アジア(SSFF&ASIA)2017のジャパン部門賞グランプリ、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2017でも観客賞を受賞するなど高い評価を受け、現在は芸人、俳優、映画監督と多岐にわたり活躍している。

奥田瑛二(おくだ・えいじ):1950年生まれ、愛知県出身。1979年、にっかつ『もっとしなやかに もっとしたたかに』(藤田敏八監督)で主役に抜擢され、頭角を表わす。
1986年『海と毒薬』(熊井啓監督)では毎日映画コンクール男優主演賞受賞。続く1989年『千利休・本覚坊遺文』(熊井啓監督)では日本アカデミー主演男優賞、1994年『棒の哀しみ』(神代辰巳監督)ではキネマ旬報、ブルーリボン賞など9つの主演男優賞を受賞。その後も数多くの映画、ドラマに出演中。
また2001年には映画『少女~anadolescent』で初監督。同作はヴェネチア映画祭他多くの映画祭から招待を受け、第17回パリ映画祭、第16回AFI映画祭でグランプリを受賞。以降『るにん』『長い散歩』『風の外側』『今日子と修一の場合』と5作品を世に送り出したりと、俳優だけでなく監督としても活躍している。

◆映画『洗骨』
http://senkotsu-movie.com/

監督・脚本:照屋年之/音楽:佐原一哉/主題歌:古謝美佐子「童神」
出演:奥田瑛二/筒井道隆/水崎綾女/大島蓉子/坂本あきら/鈴木Q太郎/筒井真理子 他
配給:株式会社ファントム・フィルム

2019/1/18(金)沖縄先行公開(シネマQ/ミハマ7プレックス/サザンプレックス/シネマライカム)
2019/2/9(土)丸の内TOEIほか全国公開